なんか意味不明なタイトルでしたが、小難しい哲学的な価値観のような話ではなく、私には昔から理解できなかった他人の行動・価値観というものが幾つか存在していました。
例えば
- アイドルにお金を注ぎ込む→子供の頃、兄が聖子ちゃんの熱烈なファンだったからその反動かもしれません…
- YouTubeのゲーム配信、商品開封動画等の疑似体験物→人のゲームを観戦して何が楽しい?
- 動画ライブ配信で行われる投げ銭(スーパーチャット )→あり得ない
実はリタイア後に夜はテレビを一切視聴する事がなくなりYouTubeを観るようになってから、最初は自分のプレイしているゲーム上達のために閲覧していたYouTubeのゲーム配信からハマるようになり、推し?のストリーマー(動画配信者)を長期間視聴しているうちに投げ銭(スーパーチャット )をする気持ちも完全に理解できるようになっておりました。「よく頑張った!これからも頑張れ」的な感情です。
流石に現実に投げ銭はしておりませんが、機会があればやりかねない状態です。😓
年齢を重ねると自分の価値観が完全に硬直化してしまい新たな物に不寛容になるものです。かと言って若者文の化を理解してるよ風なおもねる老人にもなりたくはないのですが、純粋に新たな価値観が開眼すると間違いなく世界は広がった感じがします。
例えがショボい事例でしたが、アーリー・セミリタイア生活を充実させるためにはこの新たな価値感の開眼が重要なのではないかと感じた出来事でした。